看護師辞めたい、でも辞めたら私は終わってしまう。そして子供たちも
看護師にはシングルマザーが多い。そう聞くと仕事も育児もバリバリやってる、強くてたくましい女性を想像するかもしれないけれど、私はそのイメージとは真逆。それでも、子どもを守るために生きていかなきゃいけない……。
そんな、どこにでもいる平凡なシングルマザーである私の話をします。
■夢も希望もない看護学校時代
私が看護学校に入ったのは、母が看護師だったから。
母を尊敬していたから?そうじゃない。
ただ母に勧められるままに、母の望むままに、敷かれたレールの上を歩いていたら、そこには看護師への道しかなかった……ってだけなんだ。
「人の役に立ちたい」って立派な目標に目をキラキラさせている同級生。
「お金のため」に必死になっているシングルマザー達。
どちらも私にとってはとてもまぶしくて、ひどく羨ましく感じてた。がむしゃらに、ひたむきに。私をそんな風に駆り立ててくれるものなんて、どこにもなかった。
■いつも「辞めたい」と思っていた新米看護師時代
看護学校を卒業した後に勤めることになったのは、地元の総合病院。そこでの毎日はすごく忙しくて、目が回るようだった。
最初の一ヶ月間だけは研修期間ってことで夜勤も残業もなく帰してもらえたけれど、その後からはベテランも新人もないような扱い。バディの先輩と一緒に夜勤に入って、先輩が休憩に行っている間は一人でナースステーションに待機。その間、何かあったらと思うと生きた心地がしなかった……。
同期と比べても特に私は手際が悪くて、先輩も私にばかり厳しい目を向けているような気がした。確かに採血一つとってみても、いちいち緊張しちゃってうまくいかないことばかり。失敗が続くとますます緊張して……という悪循環に陥ってた。
同期の看護師も、先輩も、師長ですらみんな陰で笑っているんだろうなって思うと、ため息しか出てこない。
看護師ってやっぱり女の世界だから、看護師同士の噂話や悪口なんて日常茶飯事なんだよね。気が強くなくちゃやっていられないから、環境に揉まれてみんなたくましくなっていくものなんだけど。私はいつまでもメンタルが弱くて、まわりと全然馴染めなくて、どんどん苦しくなっていった。
看護師に憧れていたわけでもない。仕事も人間関係も、とにかくキツイ。気づけば口ぐせのように「辞めたい、辞めたい」って言うようになっていた。
■結婚を機に、逃げ出すように看護師の仕事を辞めた
それでもなんとか3年はその病院で働いたけど、馴染めないのも辞めたいのも相変わらずだった。そんなある日、高校の時からつき合っていた恋人からプロポーズされたんだ。
正直「これで辞められる!」って思いがかなりあった。辞めたいと思ってすぐにどうこうできる環境じゃなかったから、一番角の立たない理由ができて嬉しいって思っちゃった。もちろん、プロポーズも嬉しかったんだけどね。
結婚をきっかけに看護師を辞めることになって、母にはずいぶん責められた。
「看護師は一生続けられる仕事なんだから、結婚で辞めるなんてとんでもない!」
なんて言われたけれど、これっぽっちも聞く気はなかった。
私は母とは違う。私には看護師は向いていなかったんだ!それが、3年看護師をしてみてたどり着いた結論だった。
もう看護師なんて絶対にやらない。そう心に決めて、私は病院から逃げ出した。
■出産、そして離婚
看護師を辞め、家庭の主婦となった私は二人の子どもの母親となった。
お姉ちゃんのあかりは6歳。来年小学校に入る。弟の隼人は3歳で、まだ赤ちゃんっぽさが抜けきらない。お姉ちゃん風を吹かせたいあかりと、要領が良くて甘え上手な隼人は良いコンビ。
いつも帰りは遅いけれど優しい夫と、かわいい子ども達とに囲まれて、幸せな毎日を過ごしていた。「看護師を辞めたい」と嘆いていた頃のことなんて、ほとんど思い出すこともなかった。
このままずっと夫と、子ども達と一緒に幸せに過ごして、歳を取って病院で厄介になるときに「あぁ、そういえば昔私も看護師をしていたんだよ」なんて小話をするような、その程度だろうなぁって思ってたんだ。
それなのに、その日は突然やってきた。
「離婚しよう」
いつものように夜遅く帰ってきた夫が、感情の読み取れない声で言った。振り向くと、そこにはとても冗談を言っているようには見えない顔をして立っている夫の姿。
今にも口から飛び出してくるんじゃないかってくらい、心臓がバクンバクンと鳴っていて。いつものリビングは、知らない人のおうちに来たのかってくらいに余所行きの顔をしていた。
「……どうして?」
やっとの思いで絞り出した声が、ビックリするほどかすれている。
「それは……」
一瞬、夫が目を伏せる。それを見て、絡まっていた糸がスルスルと解けていくのを感じた。
もうずいぶん前から、夫は度々帰りが深夜近くになるようになっていた。その度に、家のものとは違うシャンプーの香りがしていたんだ。一時の気の迷いで、いつかは戻ってきてくれるって、信じてたのに。
母に言われるがまま看護師になって、挫折して辞めて。
彼に求められるがまま結婚して、他に女ができて捨てられる。
本当に、私には何もない。自分が情けなくて、はずかしくて、パッと消えてしまいたかった。私という存在に、もともと夫を繋ぎ止めるだけの力なんてない。
「わかりました」
そう言った後、夫が一瞬見せたホッとした顔、それがすべてを物語っていた。彼にとって、私はそれだけの存在なのだ。泣いてすがるほどの価値もない妻だったのだ。
その夜、私はスヤスヤと寝ている子ども達を抱きしめて、一晩中泣いた。
働かなきゃ。この子達を守らなきゃ。もう、親は私しかいないのだから。
■シングルマザーの現実
それからすぐ、求人誌を読み漁ったり職安に足繁く通ったりしたけれど、見つかるのは時給1000円にも満たないパートの募集ばかり。フルタイムで働くとしても、月に13~14万円入ってくるかどうかだ。そこからアパートの家賃、食費、光熱費なんかの生活費を抜いたら、もうほとんど手元に残らない。
これじゃあとても、子ども二人を養っていくことなんてできっこない。看護師を辞めて以来、すっかり実家とは疎遠になってしまったから頼ることもできない。
どうする?
そこで思い出したのが、お金のため、子どものためと言って看護学校に通っていたシングルマザー達の姿だった。あんなに辞めたいと思って、一度は逃げ出した場所。だけど私にはもう、看護師に戻るしか生きる方法がない。そう覚悟を決めた。
■再就職、そして「辞めたい」とすら言えない状況
看護師は引く手あまたと言われるけれど、それでも私のようなブランクのある看護師の再就職は難しい。シングルマザー、協力してくれる家族なしとなれば、尚更だ。手当たり次第に面接を受けたけれど、結果はボロボロ。
女が子どもを育てながら働くってだけで、どうしてこんなに大変なんだろう……。
なんとか友人の紹介で決まった就職先は、前と同じような総合病院だった。
もちろん前とは違う病院だし、当時はハタチそこそこだった私も、もう33歳。環境も人との関わり方も何もかも違う、まったく新しい毎日を送ることができるんじゃないかって期待したんだけれど……実際は、何も変わらなかった。
病院というところ、看護師という人達、そして私自身。どこへ行っても、どれだけ時間が経っても、本質的なところは変わらないんだと、絶望しかなかった。
それでも、看護師として月給は25万円ほどもらえた。生活のために、時給1,000円のパートに甘んじるわけにはいかない。「辞めたい」と思わない日はなかったけれど、子どものためなら頑張れる気がしていた。
辞めたい気持ちは胸の奥にそっとしまって、子ども達の前では明るく笑い続けた。それが、寂しい思いをさせてしまった子どもへの贖罪のつもりだった。
■立ち上がれない朝、娘の涙
ある朝、ベッドから起きられなくなった。いつもと同じ朝、いつもと同じように立ち上がろうとするのに、足が動かない。
あまりに私が遅いからだろう、娘が心配そうに呼びに来た。そして、ドアを開けるなり驚いた顔をする。
「お母さん、どうしたの……?」
「ごめんね、ちょっと寝坊しちゃった。お腹すいたでしょ。いま、朝ごはん作るから」
いつものように無理やり作った笑顔をはりつけて、そう言った。つもりだった。
突然、娘がわっと泣き出し、怒ったように叫んだ。
「お母さん、そんなにつらいならもう仕事なんて行かなくていいよ!」
一瞬、何を言っているのかわからなかった。でも、頬に何かがつたっているのに気づいて、ハッとした。
私、泣いてる……。
この時、自分の心が思った以上に傷ついていたのだと気づいた。そして、子ども達も。
娘はしっかり者でいつも私を支えてくれていたけれど、離婚してからはそれまで以上に物わかりのいい子になった。私を困らせるようなことはまったくしない、率先して手伝いをしにきてくれるのだ。日々の生活にいっぱいいっぱいになっていた私は、正直「助かるな」と感じていた。
「あかりなら、私の気持ちをわかってくれる」
そんな風に思っていた、私は大バカだ。
胸がギリギリと締め付けられるようだった。甘えていたのは、母親である私の方だった。賢くて優しい娘は、母のことを気遣ってワガママの一つも言わず、甘えることもできずにいたのだ。まだほんの6歳の女の子にそれを強いていたのは、どこまでもふがいない私自身だった。
隼人はまだ、何をどれだけ理解しているのかはっきりしない。けれど離婚してからはいつも私にべったりで、気に入らないと大声を出して癇癪を起こすようになっていた。
精神的に不安定になっているのには気づいていたけれど、それを受けとめてあげるほどの余裕がなかった。イライラして、感情的に怒ったことも一度や二度じゃない。その度に、あぁまたやってしまった。私はなんてひどい母親なんだと自分を責めた。
ごめんね、あかり。ごめんね、隼人。お母さんがんばるよ。もっともっと、がんばらないとね。もっとちゃんとお母さんをして、あなた達から奪ってしまったお父さんの代わりになれるよう、一生懸命働くよ。もっと、もっと……。
精一杯やっているつもりだった。そうして私はどんどん深い沼にはまっていき、自分の心も、子ども達の心も、いつの間にか見えなくなっていたんだ。
このままではいけないと気づかせてくれたのは、娘の涙だった。その日、わたしはあかりを抱きしめて、声をあげて泣いた。
■転職サイトとの出会い
ふと、元夫の姿が脳裏に浮かぶ。彼は仕事で嫌なことがあるとよく「もっといい仕事ねぇかなあ」なんて言いながら転職サイトを見ていた。私のチャンスも、そこに落ちているかもしれない!そんなインスピレーションがわいた。
弾かれたようにスマホを手に取る。ロック画面を解除するスワイプの間すらもどかしい思いがした。そしてGoogleの検索窓に打ち込むのは「看護師 転職」というワード。するとズラッと並んだのが「看護師向け転職サイト」だった。
その存在を、私は知らなかった。看護師を辞めてから、あえて看護師についての情報から目を背けてきたのかもしれない。転職サイトには今まで知らなかった世界が広がっていて、大きな病院で働くだけじゃない、看護師という仕事にはもっともっと選択肢があり、可能性があるって思わせてくれた。
まだ小さな子ども達、私の命とも言えるあかりと隼人を抱えながら、生きていく希望がそこに見えたような気がしたんだ。
■アドバイザーとの出会い
藁にもすがる思いで、看護師向けの転職サイトに登録を済ませた三日後、アドバイザーとの打ち合わせが行われることになった。
キレイなオフィスビルの中で、パーティションに区切られた個室に現れた彼女は柔らかな雰囲気の女性だった。それでいてどこか凛とした、意志の強さも感じられる。
艶のある黒髪をキュッとお団子にまとめてあって、白い肌にオレンジ色のチークがよく映える。こんな看護師なら、患者からも人気があるだろうなぁなんて、ふとどうでもいいことを考えた。要は、それくらい魅力的な人だった、ということね。
そこで私はすべてを打ち明けた。ここまできて、取り繕って見栄をはっても仕方がないと思ったのだ。
看護師としての資質に欠けていると感じること。
大勢の看護師に馴染めないこと。
離婚をしてシングルマザーなこと。
子ども達の気持ちを無視してしまっていたこと。
その一つひとつに対して、アドバイザーの方は親身になって話を聞いてくれた。
人生相談でもしているつもりか、と思ってしまうくらい心のうちをさらけ出してしまった。するとそれまで黙って相槌を打っていたアドバイザーの方が、こちらを真っ直ぐに見て言った。
「橋本さんと橋本さんのお子さんが納得できる職場を、とことん探しましょう。私のこともチーム橋本の一員だと思っていただいて、一緒に頑張っていきましょうね」
向こうも仕事だ。ビジネス上の言葉だとわかっていたけれど、それはダイレクトに心に響いた。だだ広い砂漠をひとりぼっちで歩いていたら、突然天使が現れて飲み物をくれて、「一緒にゴールまで行こう」と手を握ってくれたような感覚。
涙で視界がゆがんだ。まばたきをしたら、ポロリとこぼれてしまいそうだったから、気づかれないように目を大きく開いて、わざと大きな声で「よろしくお願いします!」と答えたんだ。
■新しい職場で感じる、看護師としてのやりがい
「私もチーム橋本の一員」と言ってくれたアドバイザーの方は、言葉通りずっと私のサポートをしてくれた。ブランクのある再就職活動は厳しい道のりだったけれど、アドバイザーさんと一緒だったから乗り切れた。彼女には、本当に感謝してもし尽くせない。
そしてやっと決まったクリニックでの看護師生活を始めて三ヶ月。今までとはまるで別世界のようです。
医師が一人、看護師は私を入れても7人という小さなクリニック。私と同じように子どもを持ちながら働くママさん看護師もいれば、すでに子どもは独立したベテランママの看護師もいる。境遇は色々だけれど、みんな温かくて優しい人ばかりだ。
患者さんとの距離がグッと近くなったのも嬉しい。もともとわたしは、大勢の患者さんをルーティンワークのように渡り歩くのが得意じゃなかった。総合病院では患者さんが多く、一人にそれほど時間をかけることができない。
でも私は、もっとじっくりと一人ひとりと向き合っていきたいと思っていて、それがまわりからは「どんくさいヤツ」「面倒くさいヤツ」と思われていることを知っていた。
クリニックに来てからは、誰がどこに住んでいて、どんな家族構成で、好きな食べ物は何なのか、そんな話で盛り上がることもしばしば。
「あなたと話したくて通っているみたいなものよ」
なんて声をかけられると、やっぱり嬉しくなる。
一時はふさぎ込んでいた子ども達も、見違えるように元気に、子どもらしい朗らかな笑顔を見せてくれるようになったのでホッとしている。
「新しい病院で働くようになってから、お母さん、楽しそうだよね!」
そんな娘の何気ない言葉に、つい笑みがこぼれる。そう、今は毎日がとても楽しい。
「クリニックなら、橋本さんの良さが発揮できると思いますよ」
そう言って私の背中を押してくれたアドバイザーさんには、本当に感謝しかない。クリニックで働き出してからというもの、あんなに辞めたいと思っていた看護師の仕事がどんどん楽しいと思えるようになっていた。
■母との関係が変化
ちょっとだけ、母との話にも触れておく。母とはずっと冷戦状態が続いていたのだけど、ある日勤務先のクリニックに母がやってきたのだ。
久しぶりに見るその顔はすっかり歳をとって、目元にも口元にもくっきりとシワが刻まれていた。それでもかつて私を苦しめた鋭い眼差しは変わらず、私は蛇に睨まれた蛙のように硬直してしまう。
「初めてなのですが」
声をかけられて、ハッと我に返ってからはいつも通りに振る舞えた……と思う。母がどう思おうと、私には関係のないことだもの。普段と変わらずに近所のおじいちゃんやおばあちゃんの相手をしている間に、母が来ていることなどすっかり忘れていて、気づくと診察を終えた母は帰るところだった。
「お大事に」
慌てて声をかけると、母はちょっとだけ振り返って、ほんの少しだけ微笑んだ。
「よくやってるわね。がんばって」
今まで見たことのない柔らかい表情で、母はそう言い残して帰っていった。
母は私を認めてくれたのだろうか。そう思ったら、うっかり涙が溢れそうになった。
看護師になんてなりたくなかったはずなのに、看護師として認めてもらえるのがこんなに嬉しいだなんて。
次の連休には、あかりと隼人を連れて久しぶりに実家へ帰った。駅前のケーキ屋でお母さんの好きなシュークリームを買って行ったのは、もう一度母の笑顔が見たかったからだ。
■おわりに
看護師を辞めたいと泣いてばかりいたあの頃の自分に一つアドバイスをするのなら、「看護師として働く場所は一つじゃないよ」ということを伝えたい。
離婚して絶望しかけた私にチャンスをくれた転職サイトと素敵なアドバイザーさん。この出会いが私の人生を変えてくれたんだ。
最後に、わたしを救ってくれたサイトを紹介しておく。
わたしはこのサイトに書かれていることをそのまま実践した。さんざんネットの情報を漁りつくしたうえで、唯一このサイトだけが信用できる内容だった。崖っぷちだったあのとき、このサイトに巡り合えた幸運とありがたみをいまでも骨身にしみて感じている。
<<nao様からの寄稿>>
『看護師辞めたい……でも、私は絶対立ち直る、子供たちのために。』
<参考>日本看護協会
尾身さんを応援しています。
尾身茂:https://www.instagram.com/omi.shigeru/?hl=ja
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